2019年08月15日

【書評】「昭和40年男」、横浜銀蝿の嵐ヨシユキさんのインタビューは最高!・・・当時の「銀蝿一家」、せっかくの機会です、ちょっと振り返ってみましょうか

先般、私は姉妹ブログで雑誌「昭和
40年男」の書評を書きました。

(*コチラです。↓)

・【書評】「昭和40年男」の8月号は、早見優ちゃんの表紙も去ることながら、石川優子さんのインタビューがうれしかった!・・・甲斐智枝美ちゃんと小泉今日子ちゃんの「ビキニジャケット」は減退する中年の性欲を復活させた?

http://idolarayama.seesaa.net/article/468804460.html


上記の書評が【アイドル編】であれば、
今回は【ロック編】になるでしょうか。

「昭和40年男」って、かなり「読ませる
雑誌」でしてね。↓




通常であれば、【書評】は一度だけなの
ですが、今回はお盆休みということも
あります、その後に読んだ記事でどう
しても取り上げたいものがありました
ので、紹介させて下さい。

横浜銀蝿ですよ!

正式には「The Crazy Rider 横浜銀蝿
Rolling Special」。

「ザ・クレージー・ライダー・横浜銀蝿
ローリング・スペシャル」。

長いので、オリコンでは「T.C.R.横浜銀蝿
R.S.」と表記されていました。

その横浜銀蝿のリーダー、嵐ヨシユキ
さんのインタビューが掲載されていま
したが、最高でした!

何が最高って、当時、小学生だった私に
今になって知らなかったことをいろいろ
教えてくれたからです。

その内容については、「記事を読んで」
と言いたいところですが、一つ挙げれば、
「横浜銀蝿は活動期間を2年に限定し、
シングル1位、LP1位、武道館満タン」
を目標に掲げて登場したということ
でしょうか。

横浜銀蝿のデビューは1980年9月です。

私がラジオ等でオリコンチャートに興味
を持ち始めたのは1982年の夏頃。

あの頃の横浜銀蝿は既に「オリコン
チャートの常連」であったのと同時に、
「銀蝿一家」が本家の横浜銀蝿以上に
チャートを席巻していました。

例を挙げれば・・・。

横浜銀蝿のギタリスト、Johnnyさんは
ソロで「ジェームスディーンのように」
を大ヒット(オリコン最高3位、50万枚)
させ、2作目の「$百萬BABY」(ヒャク
マンドルベイビー、と読みます)は、
オリコン初登場1位を記録しました。

(*Johnnyさんのベスト盤! ↓)




また、嶋大輔さんは、今でも有名な
「男の勲章」を大ヒット(オリコン最高
3位。37.7万枚)させ、3作目の「暗闇を
ぶっとばせ」では自身初で唯一の初登場
1位を記録しています。

(*嶋大輔さんのベスト盤! ↓)




82年の銀蝿一家は紅麗威甦 (グリース)
が登場した年でもありました。

紅麗威甦と言っても、「?」という
人もいるかもしれませんが、杉本哲太
さんならご存知でしょう?

若き日の杉本哲太さんがボーカルを
務めていたロックバンド、それが
紅麗威甦です。

(*紅麗威甦のベスト盤! ↓)




83年になると、私が虜になった
「銀蝿一家のマスコットガール」、
岩井小百合ちゃんがデビューします。

(*岩井小百合ちゃんのベスト盤! ↓)




岩井小百合ちゃんに関しては、姉妹
ブログで「これでもか」というくらい、
記事を書いてきました。

(*過去記事、一つ載せておきます。↓)

・【あらやまが選ぶ80年代女性アイドルソングTOP100・第2位】岩井小百合ちゃんの「ドリームドリームドリーム」・・・忘れ得ぬ、「銀蝿一家のマスコットガール」、80年代アイドルポップスの金字塔は、再評価が不可欠です

http://idolarayama.seesaa.net/category/14623137-1.html


忘れちゃいけない。

小百合ちゃんのちょっと前には、
「麗灑(りさ)」ちゃんがデビュー
していました。

デビュー曲、「ROCK'N ROLL 恋占い」
はオリコン最高39位、3.6万枚の
スマッシュヒット。

(*これがデビュー曲です。↓)




最後に、83年デビューの銀蝿一家の
「最後の砦」、矢吹薫さんを紹介して
おきましょう。

矢吹薫さんって、嶋大輔さんと杉本哲太
さんが「大輔・哲太のRock'n Roll」を
シングルでリリースした時、「+1
(プラスワン」」として、既にレコード
デビューはしていました。

その直後、「お前がまぶしすぎて」で
ソロデビューし、オリコン最高19位、
4.9万枚のスマッシュヒットとなりました。

(*矢吹薫さんのベスト盤です。↓)




お盆期間中ということもあり、銀蝿一家を
ちょっと振り返ってしまいましたが・・・。

こういう時でなければ、なかなかゆっくり
振り返れませんからね。

ちなみに、横浜銀蝿自体は、LPは1位を
獲得し、武道館を満タンにもしましたが、
シングル1位を獲得することはできず、
活動期間を1年伸ばし、83年末まで活動
しました。

83年は私が人生の中で最も音楽を聞いた
時代でして、オリコン最高9位の
「おまえにピタッ!」はよく覚えて
いますし、ラストシングルとなった
「哀愁(わかれ)のワインディング
ロード」(オリコン最高16位)も
記憶に新しい。

結果的に、シングル1位を獲得する
ことはできませんでしたが、2枚目の
シングル「ツッパリHigh School Rock'n
Roll(登校編)」は最高3位ながら、
56.6万枚の大ヒットとなりました。

当時も今も、1位を獲っても、50万枚
を超えるヒットはなかなかないことを
考えれば、十分じゃないですか。

「お茶の間に不良が進出した初めての
例」と「昭和40年男」には書いてあり
ましたが、横浜銀蝿のメンバーは嵐
さんを始めとして、紳士的だったと
いう印象はあります。

あの当時は、まだ、「テレビの前で
ふざけちゃいけない」というような
規範のようなものがあったと思う。

それは、カタギの人間はもちろん、
「元暴走族」だった横浜銀蝿でも
同じでしてね。

今や、そういう規範すらなくなって
きたことを考えれば、横浜銀蝿なる
グループはもっと評価されていいの
ではと思ったりもします。

「キチンとして」いましたよ。

嵐さんも還暦を過ぎました。

地上波でもう一度、横浜銀蝿の
勇姿を見たいですね。


*横浜銀蝿の全シングル収録、最強の
ベスト盤です! ↓




posted by あらやまはじめ at 22:25| 神奈川 ☁| Comment(0) | フォーク・ロック系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする




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